私はこれまで、子供時代の母親から「された」「言われた」出来事を思い出してはフラッシュバックに苦しみ、頭の中で不快な記憶がぐるぐると渦を巻き、心が沈んで落ち込むということを繰り返してきました。
苦しくてどうしようもなくてネットを検索してみると、私と同じように悩んでいる人の声をたくさんみかけました。
「こんな気持ち、誰にも共感してもらえない」と思い込んでいた私にとって、それは驚きだったし救いの一つでした。
人に話せなかった苦しみ
中学生の頃、私は自分の気持ちを誰かに話すことをやめました。
勇気を出して言葉にしても否定されるばかりで理解なんてさなれない。それどころか「子供のあなたがお母さんを理解してあげなきゃ」「そんなふうに思うなんて親がかわいそう」と言われました。
そのとき私は「もう二度と人に話すのはやめよう」と心を閉ざすことにしました。
少しずつ見えてきた「自分」
心を閉ざしてからの方が思い出しては辛くなる、でも解決できないから自分をごまかす。それのくりかえしです。ごまかすのを続けると、本当に自分で自分のことが分からなくなるのです。厄介なのは自分でそれに気づかないところなんです。
自分をごまかして一人で生きている分には問題に感じることは少なかったように思います。もし、フラッシュバックしても自分だけをごまかせばいいから。
でも、ごまかしが効かない時が来てしまいました。
それは、結婚して出産して自分に子供ができたこと。
最初は初めてのかわいいわが子と対面できたときには本当に感動したことは昨日のことのように思い出せます。
慣れない育児に奮闘しながら、ありがたいことに3人の子供が私のもとに来てくれました。1人目が生まれてから約15年くらいは子育てに追われながら人を育てることの難しさを痛感しながら、子供にも私を育ててもらっているなと思いながら、自分なりに一生懸命育ててきたつもりです。
でも、やっぱり歪みが子供達に表れ始めたことがきっかけで、自分が嫌いだった母親と同じようになっているんじゃないかと思い始め自分と向き合わなければと思い始めたのです。
ただ、最初はどうしたらいいのか分からない。普段の子供達との関わり方を模索しながら、自分とも向き合うことを始めました。今思い出しても、はじめは何の進歩もなかったしなんなら悪化してた気もします。子供たちの反抗期や自分のPMS症状の悪化、その他にもそれぞれが変化の多い時期を過ごしていたことも影響していたと思います。
それでも、自分と向き合う時間を重ねるうちに、ほんの少しずつですが変化がありました。
「自分は何が好きで、何が嫌いなのか」
はっきりと分かったわけではないんですが、振り返れば「前よりは気づけるようになってきたな」と思えるようになったのです。
それは本当に本当に小さな気づきの積み重ねでした。
その小さな一歩一歩があったからこそ、今こうして自分の過去に一区切りをつけられ、ようやく自分の気持ちを文章にする勇気が持てていると思います。
自分と向き合う作業って、とても苦しかったです。
このブログに込めた想い
心の向き合い方にはいろんな方法があります。けれど、私には合わなかったものもありました。代わりに、自分なりに試してきたこと、助けられたことを、ここで少しずつ書いていこうと思います。
私もネットでみた言葉に救われたので、今度は少し前に進むことができるようになった私が誰かの役に立てたらいいなと思いました。
私と同じように家族のことで苦しんでいる人が、このブログを読んで「自分だけじゃない」と感じてもらえたら。その気持ちがほんの少しでもほぐれる、きっかけになれたら嬉しいです。
そんな想いで書いていこうと思います。
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